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フラヌール地帯

あるがままに、わがままに。感じたことがコトバになる場所。

"憧れ"の残滓もオリジナルの素

僕は学生時代は音楽にのめり込んでいて、特にジャズやフュージョンはとても良く聴いていた。なかでも、マイルス・ディヴィスとその影響を受けたミュージシャンの作品はいつもプレイリストにあった。チック・コリアキース・ジャレットウェイン・ショータージョン・マクラフリンなど、見事にマイルスバンドの元メンバー(弟子とも言える)ばかり。また、同時期に僕はスパニッシュ・ギターを弾いていたが、スペイン音楽へ自分を橋渡ししたのもきっとマイルスなのだろうとも思う。

自分が心酔していたフラメンコギターの帝王、天才ギタリストパコ・デ・ルシア(故人)は、どこかマイルスの影響を受けていた印象がある。なんだかこのふたり、風貌や仕草、コワモテな感じもどことなく似ている気がする。天才ゆえの共通点なのか、はたまた年下のパコが影響を受けたのか。いずれにしても、僕はどちらも大ファンだ。

 

 

 

 

そんなマイルス、音楽の話はまた書きたいけれど、今回はまた映画の話……で申し訳ない。

 

今年の初めだったか、たまたまラジオを垂れ流していた折、「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」という番組で、その「ジャズの帝王」ことマイルス・デイヴィスの映画がトピックとして紹介されていた。パーソナリティの語り口がやたらと面白かった記憶があった。

思い出したくてついつい調べてみたところ……なんと公式ページでアーカイブに文字起こしと音声がアップロードされいるじゃないか!

 

www.tbsradio.jp

 

 

 

 

早速聴きなおしてみて、なにが面白かったのか思い出すことが出来た。

 

というか、そもそも宇多丸さんの緻密な分析・解釈に基づくトークが全編に渡ってとても面白かったのだが、その中でも印象に残ったのが、以下の”方程式”だった。

 

 

『俺(チードル)=マイルス』世界

 

言うなればですね、この映画は、厳密に「伝記」と言っていいのか? というぐらい、これはあくまでもドン・チードルによる、「俺が考えたマイルス(の心象風景)」っていうことなんだけど、その「俺」っていうのはすなわち、「ほぼほぼ現在の俺はマイルスとイコール。俺、ドン・チードルはいま、マイルスとほぼほぼイコール、いまの俺はマイルス!」というところまでドン・チードルの気合いが、マイルスなりきりっていうのが煮詰められきっているため……これは「俺が考えたマイルス」映画ですよ、でもその「俺」っていうのは「=マイルス」だから! みたいな(笑)、そんな感じになっているため……しゃべり方とかさすがに完コピ、素晴らしかったですけど。

 (引用元: 公式サイト上の書き起こし記事 https://www.tbsradio.jp/108505 より)

 

 

 

 

……よく考えたらこの言葉、なにげにスゴい発明なんじゃないか。

 

なぜならば、このフレーズ、もとい方程式の固有名詞「チードル」(その映画の監督・主演の方)の部分に、いろんなクリエイターの名前を代入したらおおよそ「クリエイティブ」といわれるものの大半(特に2次的な創作活動)は全てこの一言で説明できてしまうのではないだろうかと思うからだ。

 

 

 

 

完全に話は逸れるが、創作といえばハウツー本ではしばしば「100%オリジナルなものなど存在しない」とうたわれている。そのアドバイスの示すところのオリジナリティに到達するために不可欠なことといえば「模倣」の段階であり、そこにおいてはつまりこのチードル方程式のいわんとしているメンタリティこそが、まさに不可分なほど重要な要素なのではないか。

 

というのも、クリエイターが模倣の世界への没入というプロセスをほとんど通過儀礼として経験し、ようやく自分だけのオリジナリティに開眼するするためには、「その人をどう頑張って真似しようとしても似ることが叶わなかった」自分の特性(個性)が、その作業によってあぶり出される必要があると思うからだ。

 

もしもド直球に影響を受けているクリエイターがいたとして、その人を自分に重ねて徹底的に真似して真似して真似して、それでも真似しきれなかったとき、ついに模倣者は「自分」の存在に、否が応でも直面することになる。このとき作品という存在は、ヘトヘトの自分の前に容赦なくリアルな肌感覚を持ちながら立ちふさがってくる。自分が「あこがれのクリエイター」とは別の存在であるということの、ある意味で残酷な事実を直視しなくてはならない。

そんな事実(現実)を受け入れることこそが何よりも大変なのだが、むしろそこからが本当のスタートなんじゃないだろうか。そして、今度はそこからどこまで自分のペースで走り続けられるかが、きっとクリエイターや表現者としての本当の試練であり真価なのだろう。

 

以前の何者からも自由なクリエイターになるために、みんなそれぞれの「俺(チードル) = マイルス世界」を相対化して「自分」を獲得してゆく。獲得というより、受け入れてゆく、かもしれない。このラジオトピックの中で語られていた分析と賞賛は、そんなプロセスへのエールに違いない。

すなわち「模倣」と「型」の深層に広がる煌めくイメージの小宇宙への、期待の讃歌なりけり。

 

 

 

なんて書いている自分にとっても、この方程式はまさにデジャヴとしか言いようがない。かつていろいろな創作にチャレンジしていた時期があったが、あの頃もしょっちゅうこの方程式が露呈していたはずだ。

そしてそれは今もまさに”そういう状態"で、自分では気づいていないというだけのことなのだろう。この瞬間にも僕には、自分でまだ受け入れられていない部分が、きっとたくさんある。

 

だから、これからもこのブログをちょくちょく書いたり音楽作品を作ったりしながら、気恥ずかしくも貴重であるはずのマイ・オリジナリティに、ジワジワと直面していこうと思うのだった。

 

 (まず映画をGWに借りて観ることにした)

 

 

 

 

 

 

 本日の“寄り未知”↓

 

 


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